方針
2025年07月01日40歳は一つの目安

40歳は、別名「不惑」と呼ばれます。孔子の論語に由来する言葉であり、その名の通り、惑わないという意味です。でも、現代社会は高齢化社会となっており、40歳を不惑とすることに違和感を覚えることが多いです。
不惑かどうかは別にして、経験上、この40歳は、以下の観点から一つの節目と考えることができるように思います。
・だいたい20歳から60歳を会社人生とすると(最近はもう少し長いですが)、その中間の年であること。
・40歳までは、どちらかというと経験をしていろいろと吸収することが多いこと
・40歳を過ぎると、吸収というよりも、それまでの経験をもとに判断し行動することが多くなること
若い頃は、上司や先輩から言われたことを愚直に行おう、吸収しようとする姿勢があります。若ければ若いほど、その傾向は強いのではないでしょうか。飲み込みの早い年代であり、その後の年代に比べて貪欲性もあります。経験していない新しいことに出会うことも多く、人から言われたことは新鮮で、受容性があります。
一方で、年齢を重ねてくると、新鮮な経験は少なくなります。人から言われたことに対して、それまでの経験からそれを取捨選択するようになってきます。場合によっては助言を拒絶・否定する、そんな回数も増えてきます。年齢に伴い、それまでの若いときに比べると、飲み込みの速度も落ちてきます。
このように、吸収を主としていた年代から、経験に基づいて判断し行動する機会が増える年代へと変わっていきます。
この変曲点がだいたい40歳ぐらいではないかと思っています。人によっては、40歳ぐらいで一般職から管理職になるケースが増え、責任の範囲が増えてきますので、変曲に一層の拍車をかけることもあると思います。
このように考えると、若いうちに(だいたい40歳になる前に)貪欲に吸収することが重要になります。環境にもよりますが、いろいろとチャレンジしてみることも重要です。敢えて大げさに言いますが、若いうちにどれだけ吸収したかが、その後の人生を決めるといっても過言ではないくらいに思っていいと思います。若いうちの苦労は、その後の人生に必ず活きてきます。
既に、40歳を超えた方は、主として、それまでの経験を活かす時期に来ていると思います。でも、「人生は一生勉強」と言われます。その年代にはその年代にふさわしい学習があります。若い時のような貪欲かつ迅速な吸収ということではなくても、年相応のレベルの発見や吸収は必要です。若手を指導する立場になれば、その指導の過程でいろいろな発見があり、「人に教えるは教えられる」を実感することもあるでしょう。
取捨選択をしながら、自分に合ったやり方を模索していくことでいいと思います。