方針
2024年05月16日先入観の適切な排除

これが正しいと思う先入観を持って検討、考察しても、必ずしもそれが正しいとは限りません。それでもなお、先入観を隠して、こんなことが分かりました、こんなことは言えると思いますと成果を強調したり、このようにすべきだと主張したりするのではなく、事実を事実とし、そこから素直に考えられること、展開すべきことをまず検討し、その結果として意見、要望することが大切だと思います。
先入観を持たない事前の検討、考察では、様々な検討や解決の方向性が幾つかあって、おそらく最も確からしいことを踏まえつつ検討、考察を行っていくことが普通だと思います。しかし、この最も確からしいということが、いつしか自分に都合がいい(自分には受け入れられやすい)に代わり、それがともすると、本当に着眼すべきポイントからズレていき、(自分が思う)公的な意見としてすり替えられていくこともよくあります。
例えとして適切かでないかもしれませんが、冤罪を生む原因の一つは、まさに思い込みとそれを強引に裏付けようとするところに執着することで起こることであり、誤認逮捕など未だにニュースとなることがあります。「真犯人は別に居た」と分かるまでの間の時間を無駄にすることなった上に、改めて真犯人が逮捕されることは少なく、初期の思い込みが真実(真犯人)を逃がすことへの例と言っても良いかもしれません。しかも、大体は逮捕時のセンセーショナルさほど、誤認逮捕防止や名誉回復への取り組みが少ないのは、私の思い込みかもしれません。
話を戻して、自分の意見を持つこと、さらにそこに執着することは奨励されるべき観点も多くあります。ただし、現実的には検討、考察する方向性はいくつもあることが普通だと思います。そこでは、先入観に囚われるばかりでなく、一度はそこから離れた中立的な立場、考え方を持ち、その主張が正しいか、当を得ているかを踏まえることも必要です。もちろん自分以外の人の意見を取り入れようとする包容力も必要です。
それが困難であれば、ケーススタディを必ず行うという割り切りや様々な立場に立ってみるという広い心をバランス良く持って、さらには自分と異なる考えがあればそれも取り入れてみて、どこまで考えられるか(行けるか)という視点で検討してみるべきだと思います。