方針
2024年12月10日積極的・能動的に振舞える世界

小中学生のころ、こんな経験はないでしょうか。
『学校から帰宅して、明日までの宿題を片付けなければならないが、どうもやる気が起きない。まずは友達との遊び優先ということで遊びに出てしまう。家に帰ってからもやる気は起きず、このテレビを見てからやろうと思うのだが、テレビが終わってもまだ気が乗らない。それなら、食事をしてからということで、食事が気分転換になるかというと、やっぱりやる気は出ない。ちょうど風呂の時間になり、その後にと思っても、風呂から出てきてついついくつろいでしまう。だらだらと時間が経ち、でもいよいよ宿題をやらないとまずいということで、一念発起ではないけれども、気を奮い立たせ、いよいよというところで、親の一言
「そろそろ宿題やらなくてもいいの?」
絶妙のタイミング。せっかく気を奮い立たせたのに、やる気が全く失せる。台無し。』
宿題をやるという方向性は一緒なのに、なぜ、人から言われるとやる気が失せるのでしょう? この内容は、有名なクイズ番組の中で取り上げられていました。ぼーっと生きていると叱られる番組です。なお、このときの主題は、上記の例題ではなく『‘やるな’と言われるとやりたくなるのはなぜ?』 でした。
上記の答えは、「人間とは、本来、自由な生き物だから」でした。自由を阻害されると抵抗したくなるという本質を持っているのだそうです。冒頭の例も、気を奮い立たせたところまでは本人の自由意志ですが、親の一言で自由を阻害されたと感じるために、その反動が出るというものです。
これを展開して考えると、何事も、積極的・能動的に自らが取り組んでいる場合は、自由にやっている楽しい状態ということになります。反対に、消極的・受動的な場合は、自由とは反しますので面白くありません。
趣味の世界は、積極的・能動的、まさにその状態でしょう。好きなことをやっているときは楽しいものです。
では、業務に関してはどうか。趣味と実益が一致されている方はともかく、積極的・能動的になるケースよりは、いろいろと言われてから動く方がむしろ現実的かもしれません。人からいろいろと言われる、このケースは往々にして面白くないものです。面白くないどころか嫌な思いまでした経験すらあるのではないでしょうか。私自身、面白くないことをするのだから見返り(賃金・賞与)がある、と勝手に自分を納得させたことさえあります。
一方で、積極的・能動的に自らが取り組んだ経験もあります。この場合は、夜遅くまでの残業が続く多少厳しい労働条件での業務であっても楽しみを感じました。また、生まれる成果もいつもに比べてよかったように思います。何より、大きな達成感がありました。
転じて、一人ひとりが、積極的・能動的に(ある意味自由に)振舞える世界、これが実現できれば素晴らしいと思っています。そのためには、言い合える風土・風通しのよさなど組織で行うべきこと、個々人が実施すべきことの双方がかみ合うことが必要になってきます。もちろん、言うほど簡単なことではないですが、ぜひ、チャレンジしていきたいテーマです。