方針
2025年03月04日名選手名監督にあらず

「名選手名監督にあらず」という言葉があります。選手時代には一世を風靡するような成績を残しながら、監督、いわゆる指導者になったとたんに、よい成績が残せない、こんな時に使われる言葉です。特に、プロ野球の世界でよく聞く言葉で、具体的に監督(指導者)になって苦労した方々を何人か見てきています。
選手時代はプレーヤーでよかったのですが、監督となると選手の育成やマネージメントが求められます。即ち、求められるものが変わります。
名選手に限らず、人は、自分自身の体験に基づいてマネージメントや指導を行う傾向が強いと思います。名選手の場合、かなりの成功体験を持っています。努力も並大抵ではなかったでしょう。当然、これまで自分がやってきたことが正論です。他の人も同じようにすれば、自分と同じ領域になれるはずという考えを持ちやすくなるでしょう。でも、育てるべき他の選手は自分自身とは同じではありません。自分自身と同じような方法が合うとも限りません。相手の気持ちや状況をくみ取らず進めた場合は、多分によい結果につながらないでしょう。選手になかなか上達がみられないとき、自分と同じようにやっているのになぜ?と、その理由がわからないなんて時もあるかもしれません。このような場合は、よい指導者・マネージャーになれないのは自然と思います。
でも、名選手は、努力を重ねてきており、努力の大切さを知っています。言い換えると、成功する秘訣を知っているということです。また、もともと名選手であったために、選手からの信頼度が厚いという長所も持ち合わせています。これらの強みを活かして、選手一人ひとりに寄り添うマネージメントをしたとき、よい監督(指導者)になるでしょう。この時は「名選手名監督なり」です。
事実、監督になりたてのときは、「名選手名監督にあらず」で苦しんだ方が、その後、マネージメントを学び、選手に寄り添い「名選手名監督なり」になられた方もいらっしゃいます。
ここまでの話は、実は、プロ野球をはじめとするスポーツの世界に限った話ではありません。われわれの社会にも共通する話です。
日本の会社の多くは、担当者のときに努力し、才能を発揮し、よい成績を収めた人が昇進しやすい仕組みになっているように思います。当社も例外ではありません。
担当や主任時代によいプレーヤーだった方は、その時はそれでよかったのですが、副長やTL(チームリーダー)になると、課やグループの運営や後進の育成も期待されます。マネージメントの要素が期待事項に加わるのです。課長やGL(グループリーダー)になればなおさらです。その一方で、プレーヤー時代にマネージメントを学ぶ機会は、業務が忙しい等の理由で、思うほど取れないケースも出てきます。やり手の方ほど、学べない・学ばないがあるかもしれません。この時、自身のプレーヤー経験だけに基づいてマネージメント・指導を始めると「名選手名監督にあらず」に陥りやすくなります。
副長、TLはプレーヤーからマネージャーへの登竜門です。会社では、そのための研修カリキュラムを用意しますが、日ごろからの上長等と接する中で、プレーヤーの重要性、マネージャーの重要性をOJTとしても習得していくことが大事になります。上長も意識して指導に当たることが重要です。