時事
2023年01月05日子供を叱る父親
とある家庭での会話です。
「ゴロゴロ寝てばかりいないで、勉強しなさい!」
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
「勉強しないといい学校に入れないだろ!」
「どうしていい学校に入らなきゃいけないの?」
「いい学校に入らなきゃ、いい会社に入れないだろ!」
「どうしていい会社に入らなきゃいけないの?」
「いい会社に入らなきゃ、いい暮らしができないだろ!」
「いい暮らしって何なの?」
「…そうだな…寝て暮らせるってことだ…」
「ぼく、もう寝て暮らしているよ!」
仕事をしなくてもいい人生、例えば、年末ジャンボ宝くじを買って、10億円当たった人が、若いうちに仕事を辞め、一切働くことなく人生を終えることが、幸運の末の人生として羨ましいとは限りません。
金銭的欲求が満たされたとは言っても、以前のブログ(2022.12.15 働く理由と利他の心)でも述べたように、動機の一部を満足したに過ぎません。社会との関わりなどの働く動機にまで行かなくとも、「仕事を通じて得られること」として、「自分らしくあるため」「仕事で心が欲しているところを満たすため」という側面があると思います。
ここで何か仕事を行う上では、何ら障害がないということはありません。その障害に耐えられるかどうかは、人や障害の程度によって様々でしょうが、今の時代では収入よりもその仕事のやりたさ加減(やりたくなくなったさ加減)との兼ね合いで決まるのかもしれません。
その兼ね合いの中で、この寓話の父親のような対応ではなく、しっかりとした考え方を持ち、相談に乗れる会社でありたいと思っていますので、何かあれば自分ひとりで結論を出すことなく、ライン内外の人間に相談してみてください。
参考:『座右の寓話』、戸田智弘、ディスカヴァー・トゥエンティワン